管理者プロフィール
こんにちは!じゅんこです。
サイトをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは
40代会社員でそろそろ仕事に限界を感じている女性が
パソコンに慣れるところからWEBマーケティングを始めて、
1年後には月収40万を稼いで円満退社(双方気持ちよく)する!
を目指しています。
私はキティちゃんから生まれたWEBマーケターです。➡9割本当です。
(時間がある優しい方ぜひともどうぞ下記自己紹介をご確認してくださいね。)
このブログでは
40代会社員でそろそろ仕事に限界を感じている女性が
パソコンに慣れるところからWEBマーケティングを始めて、
1年後には月収40万を稼いで円満退社する!(双方気持ちよく)
を目指しています。
私は、現在、夫と2人暮らし。山陰の田舎に住んでいて、とある病床数500超えの病院で看護師をしています。
働きがいがあって、安定もしていていいじゃないって・・・と周囲から言われるんですけど、毎日本当はかなりしんどいし不安なんです。
ここからは、そんな自信喪失中の私の自己紹介と、どうしてそんな私が本気でWEBマーケティングを頑張るモードに至ったか。そして、最後には読んでくださった皆さんと共有したい思いもお伝えしておりますので、ぜひ時間がある人はゆっくりと。時間がない人は飛ばし読みで、ご覧いただければと思います。
基本情報:取説
1、名前: じゅんこ
特徴1: 自分で録音してびっくりするくらい喋るのが遅い
特徴2:人にびくびくするけど、想像したほどは嫌われていないこと多い。
自分を一言で表現すると: 年々陰キャ加速する、が、目立ちたがり屋。
私のこだわり:人に意見を押し付けない。
これだけは人に負けないこと:人間関係でアウェー感があって厳しい状況でも自分が決めたら続ける力。
身近な人の私の印象:好奇心旺盛(母談)、おもしろ看護師(夫談)、存在が薄く従順な人(多分…職場で)
年齢 1976年2月23日 そう辰年年女 天皇誕生日生まれです。
趣味 夜勤明けのジョイフルからのパソコン教室 (睡眠学習)
テイラースウィフトになりたい…て思いながらの、音楽鑑賞。
いまのままでいんじゃない?はたからするとそんな風に見えると思うんですけど、私には実力がないという、仕事人としてあり得ない状態やや会社の紐状態でWEBマーケティングの「うぇ」の字も知らなかった私がWEBマーケティングを知るまで…
目指しているのは、「キティちゃんのようなWEBマーケター」です。
じゅんこさんはなになになに言ってるの?って思いますよね。
でも、私は本気です。
キティちゃんってなぜかいつもナンバーワン1 そして、老けない、腐らない、イチゴの王様に守られている、かれこれ少なくとも30年以上いちご新聞の常連トップモデルを務めている。
うらやましくないですか。
じゅんこは思います。
キティちゃんずるいずるいよ。
私は仕事で愛想笑いもたくさんして、雑用もたくさんして、身だしなみも普通から中の上を目指して決めてるのに。
この所得の差って何?
キティちゃんがどうして、お水っぽさも色気も私と一緒??くらいないのに。
キティちゃんは最近は日本を飛び出して世界で愛されて億万長者生活を送ってるなんて、なんだかずるくない⁇
このブログに通りかかってくれた皆さん。
どっちが好きですか?
じゅんこ?それともキティちゃん?
やっぱり…キティちゃんちょっと優勢か・・・(←いやじゅんこ1票もなかった。…ですよね)
だから私はキティになりたいんです。想像してみてください。
キティちゃんはイチゴの王様のマーケティングで成功しているんです。揺るぎない安定的なマーケティングを世界に伸ばしているんです。
【キティちゃん成功の図式】 キティちゃん=いちごの王様のマーケティング
そして、私は気が付いてしまいました!今の時代のマーケティングといえばWEBマーケティングであると!じゅんこの40年間以上眠っていた私の第6感がある日、ひらめきました!
そこでじゅんこはWEBマーケティング界のキティちゃんになりたいと決意しました。
やみくもではありません。私なりの秘策を見つけたんです。すごい運がいい!
WEBマーケティング界のレジェンドを見つけたんです。
WEBマーケティング界のいちごの王様に出会いました。(←一方的ですが(^_-)、運命を感じたんです)
私の中の成功への図式知りたいですよね。ここだけは今日覚えて帰ってください。
【じゅんこ成功の図式】
じゅんこ=WEBマーケティング界の王様(青木さん)にWEBマーケティングを1年間学ぶです。
そうとてもシンプルです。
キティちゃんから生まれた「WEBマーケティング初心者」の私が無事に1年後WEBマーケターになれるのか。
ちょっとでも気にしてくれたら、自己紹介やブログ頑張って1年間更新していきますのでどうぞ見てやってくださいね。書面上ですがあなたにお会いできて憂いしいです。これからもどうぞよろしくお願いします。
自己紹介絶賛?公開中です!⇓
ごく普通の家族に生まれる
こんにちは!じゅんこといいます。私は島根県出身のガソリンスタンドで一生懸命に働く父と山口県出身で専業主婦の母の長女として山口県で誕生しました。3年後妹も加わり、にぎやかな普通の家庭生活を送りました。
当時、私たち家族は父の会社の社宅に住んでおり、生活水準はごく普通でした。
父は、朝7時に出勤して夜9時に帰宅する超真面目で優しい。
母は主婦でスーパーに行くとそれなりに節約するけど、帰りパン屋では、チョコのかかったアベックパンを自分のために1個だけよく買い足していました。
仲が良い家族で、よく父が帰宅すると父をめがけてみんなでこちょこちょ攻撃ををする毎日。いつも最後にはやめてくれーと笑う父を見て家族で楽しんでいました。
そんな小学校時代でしたが私が小6から中1にかけてこの家に生活の変化が訪れました。
突然の激震、中1で家族の行動が変わり、祖母怒る!
小6からいよいよ母が店をやりたいというのが形になってきました。
小6のころ、家にスーツを着た男性が3人くらいきました。私と妹は隣の部屋に耳をダンボにしてその様子を訳も分からずに聞いていました。
スーツを着た男の人が母に言いました。:
スーツ男性①「このような人通り(商店街)では・・・ううん・・・」
スーツ男性②「それなら儲けにはならないと思いますよ。辞めておいた方がいいと思いますよ」
母は言いました:「それでもいいです。やりたいです。」
父「女房がやりたいと言っているのでやらしてあげたいと思います」
まだ幼かったためはっきりとは意味が分かっていませんでしたが、慎重な会社側と気持ちとやる気満々の母の様子が伝わってきました。やってみて失敗したらどんなになっちゃうんだろうと幼いながらに一抹の不安も覚えました。
少し時代を母の小さいころにさかのぼると、母は小学校の時、胃がんで酒屋を営むを母にとってのお父さん(祖父)を亡くしていました。その後祖母は居場所がなくなりその酒屋を娘2人(母と母の妹)を連れて出て、1人で母と母の妹の2人を育ててきたのでした。祖母は節約の鬼となり、朝は企業の給食作り、空いた時間に自転車にたくさんのダスキンをのせてダスキンの仕事、夜中は箱作りなどの内職と、とにかく元気でよく働く祖母でした。
祖母はそんな若かった祖父の死が身近にあったせいか、「公務員が一番いいね」と考える超堅実派でした。そんな祖母の思いと真逆の母のお店をやりたい問題。
祖母は怒って嘆いていました。
祖母がその後家に来た時に「けいこちゃんは(母)はいったい何をかんがえているんじゃろうか」「こういうのを新人類っていうんじゃろうね」と親戚に話していたことを覚えています。ちなみに「新人類」という言葉はその年に流行った流行語でした。(←この言葉を知らなかったという人はきっと若いです。おめでとうございます。)
心配性で堅実な祖母と母のギクシャクはあったものの、母が考えをを押し切る形でついにじゅんこ中1の時にお店がオープンしました。
そう、その名は「サンリオショップJOY」
リボン商店街という鮮魚店、花・果物屋、肉屋、米・コスメ店の横に堂々のオープンしました。
運よく母がお店オープン後、ともちゃん(華原朋美さん)がテレビで「キティちゃんが好き」といったことをきっかけに母の「サンリショップJOY」も思いがけない好景気を迎えました。母は目が大きくてショートヘア。次第にみんなから「キティちゃんみたい」と言われるようになりました(←言った人は目が曇っていたかとは思いますが)
だから私はキティちゃん(キティちゃんのお店やってる母)から生まれました
(ちなみに私は目は小さい父譲りで、一ミリもキティちゃんに似ていません)
そんな、キティちゃんから生まれた私にも大きな転機となる出来事が3年後訪れました。
じゅんこの情熱大陸。宝塚に行くんだ。
そんな母の「サンリオショップJOY」は順調に進んでいる中、
高校1年の私に突然、心躍る大きな将来の夢が生まれました。
高校1年で家族旅行に行った兵庫の宝塚で宝塚歌劇を父の計らいで観ました。もう見終わったときにはじゅんこは決意していました。絶対入りたい!
今思うと父の仕事そして母の経営がそれなりに上手く行っていたからだと思いますが、両親に私の決意を伝えると「自分でするんならいいよ」と快諾されました。イエロータウンページをにらめながら、震えながら家の黒電話をにぎりバレエ教室や声楽の先生を見つけ出し、連絡しました。バレエは週2回声楽は週1回。時間があれば周南公園まで行ってストレッチしたり走ったり。燃えに燃えていました。この情熱と頑張りが私を変えてくれました。
高校2年で宝塚からもらいました。「不合格」
私の人生の中ではこの頑張りは「合格」以外の何物でもなく、いまだに「心のビタミン」になっています。
社会人になって私は宝塚の目標を終え、燃え尽き症候群になる手前の社会人1年目、運よくというか母の計らいで「シンガポール」へ父の会社に同行しました。帰りのシンガポール空港で心に誓いました。「英語をやるんだ」
帰国後から、朝5時に起きて単語を頑張りました。短期間で英検2級に合格。そして、25歳でオーストラリアに出発。豊かな国 おおらかな国 優しい国 オーストラリアで優しい気持ちを持てる世になりました。幸せいっぱいになって、両親へそれまでお礼など行ったこともありませんでしたが、自然に両親へ感謝できる人になっていました。環境って大切ですね。またすぐに帰ってこよう。そう思ってもう25年。近いようで遠いところ。大好きな第2の故郷です。
そしてエステと結婚と離婚と再婚
帰国後紆余曲折ありましたが、エステの会社に就職しました。「働きながら資格がとれる」私は美容よりもこの言葉に刺さりました。毎日毎日売り上げも気にしながら、一生懸命お手入れしました。途中ニキビが謎に増えすぎて、「フェイシャル」より「ボディ」をお手入れするように上司に言われたりしながら。少し説明すると、エステの「ボディ」はオイルをべたべたに塗って温かくしてマッサージしていました。お客さんもなぜか自分が裸に近い状態になると素直になるんだと思います。そこまでしゃべっていいのーって思うような彼氏の話、不倫の話、家族の話、などなどほーとかへーとかいいながら楽しく働きました。ちょっと太ったお客さんの犬の名前が「チョコちゃん」で「それじゃ痩せないよー」なんていいながら。でも昇進の予感は全くありませんでした。ただただ毎日一生懸命にただ不器用でも努力していました。
ある日突然会社の規定をクリアしたらしく、普通社員からチーフへ昇進しました。急遽上司が花束と新しい名詞をくれました。
チーフになって感じたのは言霊ってほんとうですね。
その日からみんなにチーフって言われたら、自分の身が引き締まり本物のチーフになっていこうと成長する自分を感じました。
東京と山口を管轄していた上司がある日東京出張で東銀座のエステで修行するよう推薦してくれました。
東京で元旦那に会いました。IT 外資 海外の大学卒。結婚したら痛いほどわかりました。怖い人。3年間いつも怯えて生活しました。もうこりごりの体験でした。何でもかんでも怒られました。
ある日別れると言われどんなに安堵したことでしょう。
それから実家に帰ってその手切れ金で看護学校へ入学。その苦しい生活を考えればもう何でも天国でした。今でも、会わない人といることは地獄で、気持ちが合う人といることは天国です。
専門学校3年目再婚。
もう素晴らしくやさしい旦那様です。私はこの旦那様に出会うために失敗したんだと思っています。看護師としてポンコツでも働けて安定した収入もあるし、使い方や増やし方の不安はあるけど心配はなくなりました。
WEBマーケティング
今私はある程度は看護師で安定していますが、WEBマーケティングが最強なのではないかと思って、日々パソコンに向かっています。
それは、あの時看護師になっていなかったら、経済的にどんなに苦しい思いをしただろうか、あの時再婚できなかったら、どんなに今も孤独だろうか。となんどもなんども思うからです。たまたま離婚後「看護師になったらいいじゃん」っていわれたこt。離婚後たまたま父が「新しい人を探しなさい」と言ってくれたこと。どれも何気ない一言。一つの行動で、その人の人生って大きく左右に分かれていくんだなっていう気がするんです。
今、私はWEBマーケティングの青木先生の主催しておられるスクールに入りました。
私は自分の看護師としてのだめさ加減もありますが、それ以上に青木先生から習いたいって心から思ったんです。WEBマーケティングってはっきり言ってしまうと、わたしは、分かっていないんです。向いてもいないんです。それは、エステ時代営業はストレス以外のなにものでもなく、営業を考えるとしぜんと涙が出てくるくらい苦手だったから向いてないということは痛いほどわかっているんです。でも、青木先生はすごい。青木先生が教えてくれるんなら高くないかもしれない。青木先生という存在が私の営業嫌いを越えてきたんです。そして今1っか月目の宿題も四苦八苦。これからいいことばっかり言って挫折してるねーって思われるかもしれないし、億万長者になれないかもしれない。でも、なろうとする人にしか分からない心の喜び、心の潤い。私はそれを感じながら、正直に1年間ブログをつづっていこうと思います。よかったらぜひぜひいつでも除きに来てください。わたしはセンスはないですがギャグも好きなのでその辺も磨いてよんでくれるみなさんに笑顔を届けたいと心から読んでくれた皆さんへ幸せや喜びが届けられるように頑張ります。(できるだけ新鮮直送便で)。ありがとうございます。さみしがり屋なのでまた来てくださーい。お願いします。
家族の好景気が後押し?宝塚を目指す。
念願の海外生活 オーストラリアへ
エステ会社へ入社
結婚・離婚と再婚
29年間に幕
じゅんこWEBマーケティングに出会う。
これからとコンセプト
WEBマーケティングといえば、キティちゃんを盛り上げているいちごの王様
そして、WEBマーケティングならいちごの王様の代わりにWEBマーケティング界に君臨される王様
ちなみに私はかなりの機械音痴です。
例えば、両面印刷でどうしたらいいのか分からず20分時間を費やして結局同僚に聞く。
仕事上での一斉メールに不慣れで毎回人数とアドレスの確認をして送信するので、膨大な時間がかかる。
きか
山陰ではもしかしたら、まだ人数的には少ないかもしれませんね。
山陰で、離婚後WEBマーケティングを最近始めたじゅんこってどんな人なの?って
ちょっとでも気になって、今ならちょっと記事を読む時間があるよっていう方は、下記を読んでもらえると大変うれしく思います。
それでは早速レッツゴー⇓
小学1年生で時計が読めずに挫折を味わう
私は山口県のコンビナートが海岸に沿ってたくさんある、周南市に生まれました。
優しい両親 そして3歳年下の妹と良くありふれた4人家族でした。
山陰でWEBマーケティングを始めるまで